注目のブランド「Biro」、創設者兄弟に聞く
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適応力はファッション業界を生き残る鍵だ。シンガポール発メンズウェアブランド「Biro(読み方:ビーロ)」の創業者ケンハウ&ケイジ・チョン(Kenghow and Kage Chong )兄弟はそれをよく知る。二人は新型コロナ危機の発生にともない戦略を変えつつサステナビリティ追求に向けた取り組みも推進し続ける。彼らの手がけた精巧な技の光るミニマリスト・テイストのジーンズは競争の激化するデニム業界でも話題になったほどだ。「 Biro」ブランドの成り立ちから、世界的パンデミックの中でのビジネス展望、日本進出の計画など、いま注目の二人にFashionUnited が迫った。
「Biro」創設前はファッション業界でどのような経験をされていたのですか?
服飾専門学校などに通ったことはないのですが、母が仕立ての仕事をしていたので子供の頃から服作りの基本を見たり手伝いをしたりしていました。「Biro 」を立ち上げる前は米国のストリート・ブランドの服のインポートに3 年間ほど携わり、その後自分たちのブランドを立ち上げることになりました。その準備段階でインポートは終了し自分たちで製品を作り販売する「Biro 」というブランドの構想が始まったのです。
ブランド初のコレクション制作では、どんな顧客像をイメージしてデザインを考えたのですか?
こだわりを持っている人、日常の仕事に静かなる誇りがにじみ出ているような人をイメージしてデザインしました。人生の中にある細かなディテールに気を配り、製品づくりに込められた職人の技術やそれらの価値を感じることのできる人達です。
どこの国の顧客が多いのでしょうか?
現段階ではまだ店舗を開設したシンガポールが当社の主要な市場となっています。とは言っても、シンガポールは旅行者や外国人駐在員が多いので、シンガポール市場の顧客の 75%が国外の顧客で、現地の顧客は25%です。
ブランドを創設してから何年目ですか?
「Biro」は2013年に創設されたので、今年で7年目を迎えます。
「Biro」ブランドの拡大に励む、ケンハウ&ケイジ・チョン兄弟
お二人の間ではどのようにデザインを進めるのですか?どうやってアイデアを出し合ったり、デザインを決定したりするのですか?
通常はケイジが新作のアイデアを思いついて、それについて一点一点二人で見ていき、生地の選択や装飾、スタイル、カット、全体のイメージ、追加すべきディテールなどを話し合います。僕らは互いのインスピレーションに基づいて新しいことを取り入れることにオープンなので、思いついたことがあればそれを持ち寄って検討し、コレクションに追加するということもあります。
世界的パンデミックの中での事業推進はどうでしたか?
誰も経験したことがなく予想も出来ない事態でしたから、非常に大変でした。パンデミックによって色々な事がいつも通りのスケジュールでは行かなくなりましたが、それを機会に一歩引いて状況を再評価・再検討し、今までにない選択肢や自分たちが大事にしている価値を顧客に提供するため自分達自身やビジネスの変革を行いました。実店舗は数カ月休業することになり、代わりに通常はそれほど注力していないチャネルでの販売を倍増させました。商品制作に関しても、広告キャンペーンや発売計画、コンテンツづくりなど、実店舗という物理的なスペースがあった頃とは違うより有意義な形で展開していかなければなりません。ビジネス的視点で言えば、事業を継続し続けるとともに、オンラインでのブランド確立を通して現状に“勝つ”ためには、前述のような新しい取り組みについてより迅速な判断をできるよう意識を切り替えることが必要になりました。
製品はどこで調達しているのですか?
ほとんど日本で調達しています。
わざわざ日本で製品づくりを行おうと決めたのはなぜですか?
ブランド立ち上げを決断した2010年から調査のためアジアの縫製会社や織物工場を10カ所ほどまわりました。なかなか満足いく取引先に出会えず行き詰まっていたところ、日本のものづくりが目にとまりました。
日本での製品調達を決めたのは、なんと言っても製品に感じられる「職人のぬくもり」です。日本に古くからある伝統文化のすべてには磨き上げられてきた職人の精巧な技術があります。例えば「Biro」の商品に使われている生地の中に、日本の和歌山県の工場で作られている伝統的な吊り編み機で織られた生地があります。大正時代から使われている編み機を使い綿糸を筒状に何層にも編み上げていくというもので、1時間に1メートルしか織ることができない希少な布です。その工程により、すごく柔らかく、丈夫で、1940年〜50年代を思わせる雰囲気の漂う布が出来上がるのです。この布のように、日本の職人はものづくりのすべての工程に細かく気を配り、コストや生産性よりも質を重視しているのです。
ブランド立ち上げからグローバル展開していますが、どんな苦労がありましたか?
従来のファッションウィークや展示会、ショールームでは小規模なブランドはほとんど認知がないのでそれが課題でした。現地ではおろか、国際的にも聞いたことのないブランドと付き合いたいと思うバイヤーはあまりいないからです。
さらに世界中の優れたデザイナー・ブランドと戦わなければならないということも課題でした。市場への参入や消費者の啓発、既存ブランドとの競争を勝ち抜いていかなければならないのです。ブランドが成長段階にある時に業界イベントに直接参加できないことも痛手でした。
ブランドを立ち上げた当初、僕らは消費者に自分の服の仕立ての良さやその服の作り手について知ることや、その服が「社会に良い影響をもたらす倫理的な方法によって作られているか」、さらに「人はどれだけ消費することが必要か」といったことを啓発する “意義ある消費”というアプローチからのメッセージを強調していました。当時は非常に変わったアプローチで、すでに横並び主義であったアパレル業界で共感を得るのは至難の技でした。
次にターゲットとしている市場はどこですか?
日本、中国、インドネシア、欧州です。
事業の規模拡大を支えた主な要因は何だったとお考えですか?
一つは7年間自分達を信じてやってきたことだと思います。友人やお客様達は僕らが1、2年どころか7 年間やってきたことを見てきてくださり、その間に定期的に商品を買ってくださるお客様やサポーターの方々もたくさん増えてきました。
加えて、サプライチェーンやメディア、お客様、小売店、ビジネスパートーナーなど、この7年間に培ったネットワークの存在も大きかったと思います。
現在の社員数は何名ですか?
現時点では僕ら二人だけです。貴社の次の目標を教えてください。 直近の目標は日本での事業拠点を開設すること、そしてその他のアジア市場への事業拡大です。この先の5 年間に世界の主要なファッションの中心地すべてに出店したいと考えています。
写真提供: Biro