なぜ?若手デザイナー、希望求めNYからロンドンへ。
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最新ファッションウィークが閉幕した摩天楼に、うっすらと陰が差し込んでいる。2019年にNYのダウンタウンを拠点とする「パペッツ・アンド・パペッツ(PUPPETS AND PUPPETS)」を立ち上げたデザイナー、カーリー・マーク(Carly Mark)が、次回以降NYFWへの参加を取りやめ、ロンドンに拠点を移すと発表したのだ。2月12日に登場した彼女は、NYで最後のショーを開催し、店頭に並ぶことのない新作を披露した。
「トミー ヒルフィガー(TOMMY HILFIGER)」や「マイケル コース(MICHAEL KORS)」のフロントロウに集まった、見た目の華やかな話題のセレブリティは多くのマスコミに取り上げられたが、そこに映っているのは活気に満ちて貪欲な競争の激しい街NYの未来ではない。「マーク ジェイコブス(MARC JACOBS)」が創業40周年を迎え、「アルチュザラ(ALTUZARRA)」でさえ発足から15年が経とうというなかで、「ダナ キャラン ニューヨーク(DONNA KARAN NEW YORK)」再始動のニュースにも、その流れが変わることはない。今年予定されているアメリカ大統領選挙に名乗りを挙げているのは八十代の候補者たちだが、そうしたシニア同士の争いがファッション界に波及してもおかしくはないだろう。NYFWではいま、哺乳類の生き物の母親のように、生まれたばかりで脆弱な若手デザイナーと、環境に適応し「適者」となったビッグブランドとの両方を支えるすべをなくし、前者のみを選択的に切り落とすという事態が起こっている。我々は、どうしたら若手を育てる母親であるはずのNYFWと親子の絆を取り戻すことができるのだろうか。
なぜ、NYFWは小規模なインディーズデザイナーを支えられないのか
「最大の過ちは、だれも若手デザイナーに対して本気で積極的に投資しようとしないことだ」。マークの脱NYFW宣言を報道したニューヨーク・タイムズの記事「A rising star in fashion who sees no future in New York(ファッションの新星、ニューヨークに展望見出せず)」に登場したトゥモロー・コンサルティング・グループ(Tomorrow Group)のファッション業界コンサルタント、ジュリー・ギルバートはそう指摘する。
投資家は若手デザイナーの育成に注力すべきだ。なぜなら、NYは若い力を必要としているにもかかわらず、この街で新たなファションビジネスを立ち上げるためにかかる費用は洒落にならないからである。駆け出しのデザイナーは通常、アトリエに寝泊まりして、フリーランスの仕事やコンサルティングを請け負いながら、家族の援助や持ちうる限りの貯金を使ってやっとデビューに漕ぎ着ける。運営を続けられるかはその後の話だ。「ウィーダーホーフト(WIEDERHOEFT)」を手がけるジャクソン・ウィーダーホーフト(Jackson Weiderhoeft)」は、家族からの寄付25,000ドル(約375万円)と、自身が「トム ブラウン(THOM BROWNE)」のショップで働いていたころに着ていた制服を再販サイトで売った売上金でブランドを立ち上げたという。しかしそんな資金もPRコンサルタントの委託費やコレクションの制作費などですぐになくなってしまったと同氏は雑誌『ザ・カット(The Cut)』の取材で答えている。
パターンや試作品の制作、グレーディングといった服のデザインに関わる工程には、何万ドルというコストが伴う。小売店から受注が入っても、デザインの異なる服を小ロットで販売することになれば、委託製造先の最低発注量に達しないためデザイナーが追加料金を負担せざるを得なくなる。それに加えて、原料調達費や試作品を着てもらうモデルへの謝礼なども発生する。ウィーダーホーフトはジャケット一着の製造原価の内訳をつぎのように説明する。「パターンの完成までに1,500〜2,000ドル(22万〜29.9万円)、モデル謝礼で300ドル(4.4万円)かかる。これに試作品2点制作分の制作費700ドル(10.4万円)が加わって、合計で2,600ドル(38.9万円)。しかしこれだけかけてもまだサンプル制作にもいたっていない」。10年前には、NYFWへの参加費用30万ドルの助成金制度があったが、それも過去のこと。今となっては、会場費や席料、警備費、保険、各種許可申請料、モデル、ヘアメイク、ケータリング料といったショーを開催するための費用をデザイナーが払わなければならないのだ。販促のためにデュア・リパやドージャ・キャットなどのセレブリティを呼んで自分の服を着てもらい、SNSでバズらせるという戦略は、せいぜい夢の話だ。
NY、沈みゆく「ファッション中心地」としての地位
「セイント シントラ(SAINT SINTRA)」は、自社の商品をそのセクシーで若さあふれるイメージと相性のいいファッションインフルエンサーやアーティストのデュア・リパに提供した。しかし創業者のシントラ・マーティンス(Sintra Martins)はセレブリティに商品を提供するエンドース契約は諸刃の剣であるとした上で、小規模なブランドが歴史ある大手のメゾンと競争することは不可能であると主張する。「(大手のメゾンは)セレブリティに何千着という商品を提供して、1着でも話題になればそれで元が取れる」と彼女は『ザ・カット』でそうコメントしている。「(セレブリティへの商品提供は)多く送った方が勝ちというゲーム。でも当時、私には資金がなく、数十万円もする商品を提供することなどできなかった」。立ち上がったばかりのブランドが、自社の服をセレブリティに着てもらって写真を撮ったところで、それは世間から信頼を得るための可愛らしい見栄張りとして受け止められる。それでビジネスを続けることは難しい。かくいう「セイント シントラ」も2023年秋冬シーズン以来、NYFWでのコレクション発表は行なっていない。
「(マークには)ある種のエネルギーがある——それは、事業計画には欠けないものだ」。ギルバートは、マークのヴィジョンについてそう語った。「感じようとすればいいだけだ」毎年アメリカでは、全50州から大学などでデザインを勉強した卒業生達が大勢、ポートフォリオと希望を手に、果てない創造性に溢れたニューヨークにやってくる。しかし、希望でさえもこの街では持ち続けるのに費用がかかるとマークは言う。「最善の結果を期待しても、ブランド運営にコストをかけられなければ、売り上げは伸びない。たとえ100万ドル近く売り上げたところで、成功というにはまだ遠い」。
カーリー・マークの今後の活躍を祈らんばかりだ。なぜなら、国際的に著名なファッション学校が多く存在し、新進気鋭なデザイナーを生み続けるロンドンだが、せっかくデザイナーが発掘されてもなかなかキャリアが進展しないとされている。そのため、ロンドンに在住する多くのデザイナーはより良い仕事、つまりより報酬を求めて、パリやミラノに移住する道を選ぶという。詩人ドロシー・パーカーの言葉を借りればこうだ。NYのデザイナーが成功を夢見てロンドンを目指すとは、いったい今度は何事か。