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デザイナーの山本寛斎さん死去 76歳

By AFP

2020年7月31日

英国人ロック歌手、デビッド・ボウイの衣装制作などで知られ、日本のファッション界の開拓に貢献したデザイナーの山本寛斎(やまもと・かんさい)さんが21 日、白血病により死去した。76歳だった。山本さんの娘で女優の山本未來さんは27 日インスタグラムを更新し、家族が看取る中山本さんが安らかに旅立ったことを明かした。

「私にとって、父はエネルギッシュで明るいことはもとより、穏やかで、寛大で、人懐っこく、コミュニケーションを大切にし、無償の愛を与えてくれた存在でした。」未來さんはインスタグラムで山本さんについて綴った。

山本さんは鮮やかな色や模様を使い、既成概念を突き崩すアバンギャルドなデザインで知られる。

1970 年代から国際的なファッションショーで脚光を浴び、デビット・ボウイが「ジギー・スターダスト」を名乗って活動していた頃の衣装を手がけて話題になった。

「デビットの男女を超越した美的感覚や興味に衝撃的な美しさを感じた。」2018年のオンラインマガジン『The Cut 』の取材の際、山本さんはそうコメントしている。

アーティストの間ではデビッド・ボウイの他にもファンが多く、エルトン・ジョンやスティービー・ワンダーなどにも衣装を提供。こうした経験から後にライブイベントの演出家としても活躍した。

「日本では浮いてしまう」

山本さんがプロデュースしたライブイベント『スーパーショー』は1993年にロシア・モスクワの赤の広場で初回公演が行われ、12 万人もの観客を動員した。ショーはその後世界中で公演されることとなった。

また、日本文化の要素をデザインに取り入れ、デビッド・ボウイの衣装として漢字の書かれたケープを制作したことでも有名になった。近年では「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」とのコラボレーションで歌舞伎をモチーフにしたアイコンやキャラクターなどもデザインしている。

濃い色や印象的なモチーフをふんだんに使った一際目を引くデザインは、わびさびを特徴とする他の日本人デザイナーの中とは一味違う。2017 年の日本経済新聞社のインタビューでは自身のことを「私のような人間は日本ではどうしても浮いてしまう存在」だと語る。

しかし彼は他のデザイナーにはない日本の感性を取り入れていると主張する。安土桃山時代の戦国武将の豪快で奇想天外な美意識だ。

「(戦国武将の文化の)継承者は少ないが、そうした文化の方が自分には合っていると思います。」山本はそうコメントする。

「苦しさがあるからこそ」

活力に満ちた服や明るい性格は厳しい幼少時代を過ごして生まれた内面の暗い部分が影響していると山本さんは説明している。

7歳の頃両親が離婚。その後、数百キロメートルも離れた児童養護施設に預けられることとなった山本さん。

当時5歳と3歳だった弟を連れ、横浜から東京、そしてさらに遠く高知まで、児童養護施設を目掛けて三人で旅をしたという。

「夕暮れ時、鈍行列車の車窓から見える幸福そうな一家だんらんの灯がなんと羨ましかったことか。寂しかったですね。今でも決して忘れられません。」

そしてデザイナーになり1971 年にロンドンで初のコレクションを発表し一躍有名に。しかしその後パリでのショーで批判を浴びることとなり、大きな挫折を味わった。

挫折を乗り越える鍵は「挑戦する心を持ち続けること」だと彼はいう。

これは自身が人生で大切にしてきた言葉。その言葉の通り、2018 年に北極圏に旅する目標を公表した。しかしながら白血病の診断を受け、叶わぬ夢となった。

「良いことばかりの人生なんてありません」彼は2017年の取材でこう話した。

「(自分の人生も)つらいことばかりでしたから。でも苦しさがあるからこそ、それを乗り越えたあとの喜びも大きい。」山本さんはそう付け加えた。 (AFP)

記事クレジット: AFP(原文:読売新聞)

※本翻訳記事はFashionUnited英国版(英文)をもとに作成。