“パンクの女王”ヴィヴィアン・ウエストウッドが死去 81歳
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英国のファッションやパンク文化を牽引し、環境活動家としても知られるヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が昨年12月29日に亡くなっていたことがわかった。81歳だった。
50年間におよびファッションデザイナーとして活躍したウエストウッドは、1970年代にパンクをファッションに取り入れたことがきっかけとなり、英国のファッションの歴史を変えた。当時「セックス・ピストルズ(Sex Pistols)」のマネジメントを手がけたマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)とともにロンドンのチェルシー地区のキングス・ロードにブティック「SEX(セックス)」を開店。裂け目の入ったTシャツをはじめ、英国中で流行したボンデージやフェティッシュスタイルを代表するスタッズ、レザー、ジッパーを使ったデザインを発表して英国に旋風を巻き起こし、その後世界でも人気となった。
1990年代には「アングロマニア(Anglomania)」ラインを展開。中世やルネサンス期といった時代にインスピレーションを得たデザインを発表し、中でもスコットランドのタータンがブランド・アイコンとなり、1990年代後半にはオリジナルの商品も登場した。
さらに1997年にはロンドンのソーホーとメイフェアー地区の間のコンデュイット ・ストリートに店を構え、続く1999年にはニューヨークにも出店した。
新しいシルエット
ウエストウッドはファッションの常識の枠を壊し、胸にパッドを入れたり軽量の金属でつくられたバッスルをスカートに組み入れるなどし、シグネチャーである砂時計のシルエットを作った。またそびえ立つように厚底のプラットフォームのシューズも特徴的で、その高さゆえにモデルのナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)がキャットウォークで思わず転んでしまい、ファッションショーの歴史に残るエピソードになった。
加えて、左右非対称なデザインやバイアスカット、生地を素材につかった装飾もとりいれ、英国伝統のテーラリングやドレスをベースに新たな手法で再構築しつづけた。
現代に残る英国発の独立系ブランドの創設者であるウエストウッドは、ファッション業界における気候変動問題やサステナビリティの啓発者としての側面を持つ。かつてキングス・ロードにブティックをオープンしたときと同じように過激に活動し、過去20年間で「アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)」や「ワー・チャイルド(War Child)」「リバティー(Liberty)」など数百件の非政府団体、草の根団体、チャリティーキャンペーンを支援し、自身でもキャンペーン「クライメット・レボリューション(Climate Revolution)」を立ち上げている。加えて、国際環境NGO「グリーンピース(Greenpeace)」のアンバサダーも務め、2013年には「Save the Arctic」(グリーンピースの北極保護キャンペーン)の公式ロゴを制作し、2015年には北極圏での石油掘削と商用漁業を禁止する世界的キャンペーンも実施した。
晩年にはパートナーであるアンドレアス・クロンターラー(Andreas Kronthaler)が「ヴィヴィアン エストウッド(Vivienne Westwood)」ブランドで重要な役職につき、自身の名がついたレーベルが登場したほか、ショーなどの正式情報にも彼の名前が出るようになった。
以前クロンターラーについてウエストウッドは、「ここ数年、アンドレアスはより多くの責任を担ってきており、その事実を社会の評価に反映したい」と発言していた。
またクロンターラーは、「僕ら(ヴィヴィアンとアンドレアス)はラインを分けることで整理、縮小を選択した。(従来の)Goldレーベルを“アンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッド(ANDREAS KRONTHALER FOR VIVIENNE WESTWOOD)”とし、ヴィヴィアンはユニセックスを含むメインのラインをデザインする。バイイングを減らす一つの方法だ」とコメントしている。
「ヴィヴィアン エストウッド」ではパンデミック中にフィジカルなショーを中止したが、昨年には北京と上海で新店の営業を開始した。
本人最後となった2022〜23年の秋冬コレクションでは、量より質を追求し、2022年の干支にちなんで力強く、勇敢な厄払いのシンボルである虎をヒントにした新作を発表した。
「わたしはただファッションは政治を語る言い訳に使っているだけ。自分はデザイナーだから発信力がある。それはすごくいいこと」とかつてパンクの女王は語っている。